2012年06月03日

白井亨が求めたもの、そして・・・

白井亨(1783年 - 1843年)は、彼より180年ほど前に生まれた針ヶ谷夕雲(はりがや せきうん、生年不詳 - 1669年)の無住心剣術という心法の剣術に触発された人です。無住心剣術は「相抜け」を極意とするもので、力(技)が互角の者が試合をしたら相打ちになるところを一段抜けて(aufheben、止揚して)「相抜け」という境地に至ったものです。白井亨の時代には「相抜け」は失伝していましたが、彼は、これを心法の剣術ということで捉えて、このような境地に至るには練丹の法が必要であると説いています。
「又、昔、針个谷(針ヶ谷)夕雲(初め五郎左衛門と云う、小笠原玄信の弟子、無住心剣術の祖)、小田切(小出切)一雲(初め恕庵と云う、一雲と改め、夕雲の弟子、六十歳にて出家し空鈍と号す、筆剣の二芸を生涯の楽しみとす)、金子夢幻(高田侯の臣、弥次右衛門と云う、法心流の祖なり)、山内蓮心(八流斎と云う、平常無敵流の祖)等の遺書(兵法書)あり、各兵法に於いて微妙を得て、其の得し所を述べたるは、天下人なしと云へども、其の書、各(おのおの)練丹の事を論ぜず(右四人、各名人なりと云へども殊に一雲を古今独歩とす、一雲死して後五年を経て宝永七庚寅-1710年-白隠禅師始めて練丹の術を城州-山城国-白川の白幽仙人に学ぶ、此れ近世へ伝るの創めなり)、此れ其の人敏にして、暗に(いつの間にか)其の妙を得し者なり、其の書真理に通ずといへども、練丹の法なくして階梯(カリキュラム)なきが故に空理にひとし」(兵法未知志留辺 巻之上)

武道の極意を工夫するのに、これを心法として捉えることにより、「相抜け」が成立するようです。そして、誰もがそこに至るには練丹の法(観想法)によらなければならない、とするのが白井亨の考えです。

「相打ち」から「相抜け」というアウフヘーベン(止揚)について考えていた時、頭に浮かんで来たのは「相生き」という言葉です。「相打ち」→「相抜け」を更にアウフヘーベンすると「相生き」に到達する、と思ったのです。これが何だろうと思い巡らす内に、これは開祖が求められた生成化育の境地で、和を尊ぶ日本の武道が求めた極点であるという思いがしてきました。
開祖は、昭和3年(1928)に相生流(あいおいりゅう)合気柔術を名乗られていますが、「相生(あいおい)」とは「相生き(あいいき)」を意味していたのではないかと思い至った訳です。確かに「相生(あいおい)」には、「一緒に生育すること」、「一つの根元から二つ幹が分かれて伸びること。また、2本の幹が途中で一緒になっていること」などの意味があります。そして言霊的には「相生き」は「あいき」と読んでも良いと思います。
開祖の次の言葉は、そのことを述べられていると思います。
「昔から武道は誤って人命を絶ち、殺し合う方向に進んで来たのでありますが、合気は人命を救う為に有るのであります」
「森羅万象全てに、虫けら迄にもその処を得さしめ、そして各々の道を守り、生成化育の大道を明らかにするのが合気道の道であります」

白井亨が「相生き」まで考えていたとは思いませんが、「不敗の境地」を求め、心法による武道の工夫を続けると遂に「相生き」に至ると考えて、白井亨の世界に踏み入りたいと思います。
「斬殺既に身に至らんとするに臨み、平常修得の本事現前して不敗の地に立ち、生死活殺を明にするの術を天真傳兵法と号(なづ)く」(明道論)

そうすると、合気道も「生け捕り」という術技のレベルを離れ、心法である練丹の法(開祖は鎮魂帰神法)による「相生き」の境地に至ることが出来ると思います。
「武人は常に神に祈りを忘れず、鎮魂帰神法による技を会得し言振れせずに悟り行うことである。小戸の神業(おどのかむわざ)とは、舌三寸(言霊を発すること)の天之村雲 (あめのむらくも)の神剣である。言霊(ことたま)で人を生かす事も殺すことも自由に使えるという」(武道禊の巻)
posted by 八千代合気会 乾 at 04:59| 白井亨の世界